シン・エヴァンゲリオンわたしのげぼく  上野そら

2021年04月09日

ペルソナ 脳に潜む闇     中野信子



めんどくさそうな人ではある。
人はそれぞれで相対的という論を展開しつつ、絶対軸をどこかにおくかのように、自らを、「おかしい」とは、「普通」は、何を指すのかよくわからないけれど、同情を引きたいわけではないと思うものの、自分では「気の毒な」時間を過ごしてきたと考えている人なのだろうと思う。
とは言え、世に出て、希望どおり本も出版できてるし、成功者となり、めでたしめでたしの生き方のように思える。
共感でき、ちょっぴり「前向き」になれる言葉が、パラパラ出てきて、これが売れている理由だと思う。

・世の中の知的水準はこれとそうかけ離れたものでもないのかもしれない。見かけばかりは豊かで反映しているようだけれど、日本の実態は、それほど余裕のないところまで来ているということか
・攻撃されるのは、自分の能力とか性格とかそういったものとは無関係で、ただただ誰かを攻撃したい、ちょっとおかしな人が存在しているだけ
・一貫性がないと困る、という一見不必要な制約が脳に備え付けられているのだとしたら、それはどんな目的のためだろう
・あるべき姿ではない、というだけで、いかがなものかと、いつでも言いたがっている正義中毒者
・ルールに従うということは、選択の自由を放棄していることと同じともいえる。ルールというのは、むやみに濫用すれば、人々は思考停止させられてしまう
・私たちの正義は、不変のものでも、普遍のものでもない。集団として生き延びるために備え付けられている戦略の一つに過ぎないのだから、わざわざそれを守ろうとして命を失う、なんていうことは愚かなことだ。けれども、愚かだとは思いつつも、それを美しいという気持ちが多くの人に起こるのもまた確かなこと
・自己責任論を声高に説く人々のほとんどが、恵まれた位置にあるエリートであり強者である
・社会での役割をこなすために、本来の自分であることをしばしば覆い隠し、求められたペルソナを演じる必要がある。本来持っている性格そのままに、自然にふるまいたいという衝動と、その衝動を空気を読む前頭前皮質が抑え込んでいるという均衡の上に私たちは存在している。確かに、美しい振る舞いとは決して本能のままにふるまうことではありえないのだろう。でなければ、これほどに巨大でランニングコストのかかる前頭前皮質を、出産を困難にしてまで、人類が保持している理由がわからない。
・世界に数十億いる人々は互いに異なる思いを持ち、別々の世界を見ている。世界は誤解に満ちていて、その思いを完全に共有することは困難だ。しかし、その世界に挑むようにして、私たちの脳は言葉を生み出してもいる。言葉は不完全かもしれないが、本質的に通じることのない各個体の世界をわずかでも結ぼうと売る、生命の根源的な希求の果てに生まれた奇跡の結晶のようなものかもしれない。
・回復が難しい深い悲しみの中にあっても、乗り越えられないあなたが悪いと突き放してしまうような明るい高慢さがまぶしく輝く
・勝ち組負け組、働かざるもの食うべからず。社会、世間に対して何か供するものがなければ死ね、とでも言わんばかりの、豊かさとは真逆のところから出てくる発想がなんとも悲しい。私は役に立っていますと言い訳をしながらでなければ生きていってはいけない世界。いかにも余裕のない、心の貧しさが濃く漂う言葉。
・人間は間違い探しが大好きで、他者の間違いを正すことに興奮と快楽を求める生き物なんだな    

kidnight1tt at 22:37│Comments(0) 

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